餃子に関する素朴な疑問
餃子、好物です。(ここでは主に焼き餃子)ラーメン屋に行って餃子を頼むにはごく普通に一皿でやめますが、家で作るときは大量に作るので、まさに"やめられない止まらない"状態になります。つまり、無心にむさぼります。で、ふと気が付くと20以上はイッてます。ここからは少々ペースを落としますが、それでもまだ食います。
さて、つまり餃子を食す時は基本的に"無心"、つまり禅に通じるところなのですが、先日ひょんなきっかけで餃子をもう一度見直す機会に恵まれました。(恵まれた、と言うべきなのだろうか?笑)どういうことか具体的に書けば、まぁ、餃子の絵を描いてみよう(ちゃんとした理由があっての事で、別にとてつもなく餃子が食いたくなった訳ではない)と思っただけなんですが、そこで素朴な疑問が発生して行き詰まってしまったのです。 その疑問ですが、
ー 餃子ってのはどこが上なんじゃ? ー
ということ。(笑)
焼き餃子の場合、あの特徴的なヒダヒダは焼く時は上になります。しかし、盛りつける時はあのパリパリ感溢れる焦げ目が上になり、決してヒダヒを上にすることはありません。
ためしに、我が家で在庫している冷凍食品の餃子でも、
ほら、
ほらね。「そりゃあたりまえだろう!」って言われるかもしれませんが、複数形で構成される焼き餃子では、"焦げ目が上"はたしかに当り前のことのようです。でも、でもですよ、複数形のいわゆる"餃子's"ではそうなるかもしれませんが、単数の"餃子"だったらどうなんでしょう?つまり、1個"だけ"の餃子の場合ですよ。この場合も焦げ目が上でしょうか?単数になった途端、ヒダヒダが復権してくることはないですか?
ほら、もう一度さっきの写真を見て下さい。上のAJINOMOTOの餃子のパッケージ。ひとつつままれている餃子は、何となく横を向いていませんか?ヒダヒダが自己主張を始めているでしょう?つまり単数だと餃子を餃子として表現できるのはヒダヒダなんです。四角い皮で春巻きのように包まれた餃子を目にしたことはありませんか?そして、どんなに旨くてもそれは餃子の王道ではないと感じたことはありませんか?そうなんです、ヒダヒダがなきゃ餃子ぢゃないんです。焦げ目のパリパリが旨くても、一方でちょっと腰のあるグニッとした皮の合わせ目があってこその餃子なんです。あの包み方あっての餃子なんですよ。だから私としてはヒダヒダの方が上である、と思いたい。
おそらく、ひっくり返して盛りつけるのは、あの焦げ目のパリパリ感を盛りつけによってフニャフニャにしない為の知恵だと思われます。でもそれが為に特徴のあるヒダヒダを隠してしまっていいものでしょうか?せめて食す時にはヒダヒダの方を上にして箸で挟み、その美しさを楽しみながら食すのが正しい姿なのではないでしょうか?
そんなオバカことを考えるのも、熱帯夜のせいなんでしょうねぇ。皆さん熱射病には充分注意しましょう、特に暑さにめげないサイクリストの皆さん!餃子でも食ってスタミナ付けましょうね。(笑)
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コメント
ギョーザは白菜が多めに入っているヤツがウマイ。
投稿: G@内職中 | 2005/08/11 08:25
餃子はどっちが上か?焼き目かな^^;
宇都宮に食べに行きますか?
投稿: ayako | 2005/08/13 21:32
夏休みモードでコメントのレスが遅れて申し訳ないです。
Gさん
あ、好み同じです。肉っぽい餃子より美味しいですよね。
ayakoさん
やっぱり焼き目が上と感じますか、なるほど〜。
> 宇都宮に食べに行きますか?
いいですねぇ〜、そういうポタもありかと。宇都宮餃子、まだ未体験です。亀戸餃子ってのも食べてみたいなぁ。(笑)
投稿: Danjun | 2005/08/14 08:08